私の中で角田光代といえば「八日目の蝉」
この「対岸の彼女」も女性の内面をじっくりと読み込む作品でした。
登場人物は現在の小夜子と葵、
そして高校生だった葵と魚子(ナナコ)。
葵の現在と過去、小夜子との現在が交互に描かれます。
人付き合いが苦手な小夜子が娘のあかりを連れて公園に行くが、あかりはまわりの子供達と馴染めない。
私にも経験があるが、小さな子供がいると「公園に行かなければいけない」あの心理…なんだったんだろう。
子供× 公園=いい子育て
人付き合いが苦手で、公園に行っても気が重い。でも子供と家にいると罪悪感…
そんな頃が私にもあったな、と当時を思い出しました。
夫は理解がなく「お前は気楽でいいな」という空気感を出される…くっそぉ!泣
そんな小夜子が現実から逃げるように働きに出ることを決意し、そこで出会うのが社長の葵。
ふたりは同じ大学の同級生、意気投合し小夜子は仕事に打ち込む。
保育園にいつまでも馴染まないあかりや、相変わらず理解のない夫からの無神経な言葉、嫌味な姑、そんなものを抱えながらも仕事に熱中していく。
社長の葵はおおらかで破天荒なイメージだが、高校生の葵は小夜子に似ている。
いじめが原因で田舎に引っ越した葵は、ひとりも知り合いのいない高校でナナコと出会う。
学校では知らんぷりなのに放課後待ち合わせしては毎日ふたりで川辺で過ごします。
好き勝手しているようで、でも自由ではない。
ナナコと葵のやりとりは、高校生だった頃の自分も重なります。
その世代って、学校が世界のすべて。
そこでうまく立ち回れなかったら居場所がなくなってしまう。
誰とも群れないナナコは、やがていじめの標的になります。
複雑な家庭のナナコは家のことや経済的なことを理由にいじめられ無視されます。
それでも折れないナナコ。
この辺は読んでいて胸が苦しくなります。
でも小夜子とナナコの関係は誰にも知られず続き、ふたりは夏休みにペンションの住み込みのバイトで生き生きと働きます。
でも夏休みがおわり、元の生活にもどる…
クールに構えていたナナコが「帰りたくない」と言い、そのままふたりは家出。
自分に置き換えても、親目線でみても、救ってやれない切なさが湧いてきます。
結局、離れ離れになってしまったナナコと葵は19歳の誕生日に会えたのかな…
会わなかっただろうな、そう思います。
たくさんの複雑な想いを抱えたナナコと葵。そして30代になった葵と小夜子。
「シンプルに生きよう」
よく聞くフレーズです。
それができたら苦労しない。
複雑な心を持ってるからこそ人間。
ごちゃごちゃと過去や思いや経験が絡み合って複雑になってしまうことも人間らしさ、読み終えて改めて感じます。
そして複雑ないろんなものもひっくるめた自分で、やっぱり前に向かっていくこと。
なぜ私たちは歳を重ねていくのか…それは出会うため、そして自分で選ぶため。
この本を読んで、
私が小学生の頃、毎日一緒にいた大好きだった友達がいたのに,
私の家の事情で急に引っ越すことになり、ちゃんとお別れも出来ずに転校してしまったこと…大好きだった彼女のことを思い出しました。