私のリスペクト/ 82歳のトレーニング

「リスペクト」って言葉は、なかなか使うことがないのは私だけかな、年齢のせいかな。でも今回は「リスペクト」がとてもしっくりきました。

人生初「リスペクト」です。

「尊敬します」ではなんだか言い足りないのです。

 

先日、2年ぶりに「またトレーニングしたい」と来てくださった今日のタイトル「82歳」の方です。

 

2年ぶり。

お迎えする日はドキドキしました。

 

20187月に入院、手術。

大病され再発をくりかえし、45回大きな手術を乗り越えてはいるものの、この2年はほとんど寝て暮らしている様子はご本人とのやりとりで感じていました。

 

「体を動かさないと

「まだまだ気力がなくて」

「少しずつ体力がもどってきた」

「また再発、入院です」

「現実を受け止めます、悔しいです」

そして、せっかく少しずつ動けるようになったときに転倒、骨折。

 

そんな中、私からは娘の成人式のこと、半月板損傷して走れなくなったこと、いろんなことをお話しました。

 

その後もまた再発、手術です。

 

大きな手術を何度もされ「自分らしさ」をどんどん奪われていく中で、どんどんお家に引きこもっていかれます。

そりゃそうですよね。

なんの希望ももてません。

 

それなのに、コロナの影響を心配してコメントをいただきました。

「大敵と向き合ってください」と。

 

そして6月末、長男様からお電話をいただきました。

「またそちらに行きたいと言っています、足踏みがやっととは思いますがそんな状態でも受けていただけますか」と。

そして「横でニコニコしています」とも。

 

2年ぶり涙の再会

かと思ったけど案外シンプルです。

涙の再会するような弱々しい内面の人ではありません。

 

お姿はかなり変わっておられました。

いまは食べることもままならない。

「ほら、ここ」と、よく見たらお顔にも喉にも「戦った証」とでもいうような跡がありました。

 

私は、そう長くはないと思う。じっと家で寝ていてこのまま人生おわるのはいやだから、息子に「やりたいことをやる」って言ったのよ。

 

食べることも、

話すことも、

歩くこともままならない

それなのに「またここに来るために」というその気持ち、意思の強さ、心の強さ。

お会いした時より、思い出しながら文章を書いているいまの方が目頭が熱くなります。

 

この2年間、毎日をどんな思いでベッドで過ごしてこられたんだろう。

恐怖心も、苦しみも、悲しみも

私には到底、想像もできません。

起きることも動くこともままならない状態の中で「もう少し待ってね」と私にメールする時どんな心情でおられたんだろう。

 

変わり果てた姿でも出掛けていく。

その意思の強さ

それなのに、いつもいつも私のことを心配して

 

「尊敬しています」では、まったくもって表現しきれず、なのであえての「リスペクト」です。

 

これから毎週お会いするのがとても楽しみです。これからの人生をより良く過ごしていただくために、微力ながら責任を持ってお手伝いしたいと思っています。

 

 

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